NACHRICHTEN 【 BACK NUMBER AUGUST 2001 】
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01 AUG 2001 WED Serie A 2001-2002 (サッカー)
☆ お天気
だから猛暑だってば!(35℃)

7月31日付けでセリエAの2001−2002日程が発表になった。
(今の所見やすい日本語の日程は → スポニチのURL )

今季はジャンプWC全戦制覇を考えているのでセリエAを見に行くのはかなり難しい。
やっぱりひでちゃん見たいし パルマで美食に浸りたいし と言うとホームで可能性があるのは11月25日 (vs ミラン) だけなんである。でも 前日の24日にはフィンランドで それもナイトゲームでジャンプがある〜!25日にはコンバインドの試合も同じ場所であるから見たいのに〜!

だめか。そうすると4月以降 再度イタリア入りせねばならぬのか。いやその前に 財政破綻だ。去年はミレ二アム・ミサで大混雑のローマで プレミアチケットと化した ローマvsユーべをゲットして(知り合いに頼んだのだが)見たんだが そん時はひでちゃん出なかったしなー。イタリア行ったら ただじゃ帰れないし・・・(おっかいもの〜)
真剣に考えなければ。いや ほんと まじ。(こんなんばっかし)

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02 AUG 2001 THU 引退試合 (スキージャンプ)
☆ お天気
これくらいならオッケー(30℃)

姪っ子は中学3年で陸上部。
8月1日が部活の引退記録会だったとかで うらおもてどこもかしこも 真っ黒である。

自分の場合、高校での部活の引退日は夏のインターハイに向けた東京都大会での敗戦の日であった。1回戦から始めて 負けたら即引退。 結局 絶対に負けるはずがないと思っていた、明らかに格下の相手にベスト8で負けた。
ほかの試合の記憶は殆どないが あの試合の様子は憶えている。もう一度やり直したい、と何度思っても絶対に叶わない引退試合。1年360日くらいは練習と試合に明け暮れた2年と少しが こんな形で終わるのか、という思いと もう二度とこの競技にこんなに真剣に関わることはあるまいという思いとが錯綜している自分は 泣いているほかのチームメイト達には加われなかった。

運動をするなら試合がいい。
真剣な、勝負の懸かった試合をしたい。
どんなスポーツの中継を見ても 試合をしている、その場に身を置いている選手がうらやましいと思う。

先週末 ドイツではジャンプの国内選手権が行われ、個人戦は意外にもこれが初優勝のマルティン・シュミット(Martin Schmitt)。そして 2年前まではWCメンバーの常連だったロニー・ホルンシュー(Ronny Hornschuh)はこの試合をもって現役引退。まだ26歳。日本で言えば 船木選手と同い年だ。今後はライセンスを取得し、地元スキークラブのコーチに就任するという。
第一線を経験した選手は 二度と試合が出来ないことへの折合いをどうつけていくんだろうか。

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03 AUG 2001 FRI 全日本少年サッカー大会 準決勝
☆ お天気
またまた真夏日(夕立待望)

今日8月3日 全日本少年サッカー大会の準決勝が行われた。
今年から 会場は東京スタジアム。今までって確か合言葉は「よみうりランドを目指せ!」みたいなのだったよな?少年サッカーの聖地が 変わってしまったことには大人のいらないノスタルジーが邪魔をするけれど、国際試合仕様の競技場で試合できるのも いい思い出になるだろう。もっともやってる本人達と付き添って来ている親御さん達は思い出作りなんかじゃなく 「将来はここでプレーするんだ」って思ってるかも・・・

小学生の試合なのに 「おぉ〜!」「やったれ〜!」という場面もしばしば。キーパーのナイスセーブもあったし。楽しかったなぁ。

気になったこともいくつかある。
さすがに全国を勝ち抜いてきたチームだけあって ボールタッチとかの技術面は 確かに上手だ。
キーパーの弾いたボールを直接ボレーでシュートを狙うなんて離れ業も飛び出すくらい みんなほんとに上手なんだ。
だけど 小学生、技に溺れるな!基本は走りだ。ボールから目を離さないこと、パスを出した後に走ること。きれいにまとめるんじゃなく、自分から取りに行く姿勢が欲しい。諦めずに追って追って フィールドを走り回れ!

これって結局大人に言ってる事と同じなんだな。
ドリブルが上手なだけじゃやってけない。キラーパスを出すだけの役割なんてのもない。そんなこともう十分彼らは知っているはずだけど パスを繋げてゴールへゴールへと突き進んでいく快感は 立ってるだけじゃ得られない。シュートを打った選手の10本前のパスを出した選手にも大きな役割があったのだ。キーパーのコーチングでうまくディフェンスから速攻に繋がることだってある。ひとりの力だけじゃ成し得ない、チームプレーの素晴らしさや重要さを しっかりと学んで欲しいと思う。

人の所為にはするな。
ミスを恐れるな。
自分が動け。

(「小学生に言っても・・・」はナシ。試合の結果を引き受けるのは自分でしかないんだから。)

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04 AUG 2001 SAT 世界陸上開幕 
 (ハンマー投げ記者会見)
☆ お天気
雨降るって言ったのに〜

8月4日(現地3日)は世界陸上 in Edmonton の開幕日。
男子マラソンが初日に行われるのも 珍しい競技スケジュールだなーと思いながら最後の30km以降部分だけをTV観戦。いやー デッドヒート。40km以上走ってのトラック対決、開会式を盛り上げるに余りある演出効果だった。

ハンマー投げ 室伏広治選手の記者会見の記事が気に掛かった。「前代未聞 父兄同伴会見」 という見出し。
ちょっと待てよ。
当然 父兄というのは誰もが知る父親の室伏重信氏である。氏は彼の父親であるけれども 競技上の先達者であり専任コーチだ。まして 世界陸上の記者会見に一選手の父親として臨んだわけではないことは周知のこと。なぜ それをおもしろおかしく「父兄同伴」などと書き立てるのだ。では 他の競技者の会見はすべて本人のみで行われており コーチが同席することはなかったのか。
「ノミの心臓の不安がもたげてきた」? 室伏選手が日本新記録を更新しているのが どれも国内であること シドニーオリンピックなどの大きな大会で入賞していないことを揶揄しているものだ。
スポーツ新聞はキャッチが命、などと考えての事だったら 読者をなめんのもいい加減にしろ。

この記事を書いた記者に問いたい。
あなたの書いた記事は スポーツの素晴らしさや楽しさを知らしめる一助となるものなのか?
あなたの書いた記事は ハンマー投げに興味を持った人や 今競技に打ち込んでいる選手たちに新たな希望をもたらすものなのか?
それとも そんなことはメディアの発信側には関係の無い話だと考えているのだろうか?
・・・あなたは何を伝えたくて この記事を世に出したのか?

好きでもない競技の取材をいやいややっているのなら 競技者に失礼である。
不見識な文章を読まされては 読者も不愉快である。
たとえそれが埋め草のベタ記事であっても 文章を世に出すということの意味を解らない者には書く権利をわたしは認めない。

http://www.sanspo.com/morespo/top/more2001080402.html

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05 AUG 2001 SUN Young Men ( Basketball )
☆ お天気
真夏日未満

バスケットボールのヤングメン(Under 21)世界選手権予選リーグで日本が初勝利を飾った。
(対韓国 111-108 埼玉アリーナ)立役者は田臥勇太で29得点だったそうだ。
あの能代工業で大スターだった田臥くん。
高校時代、ケタ違いのプレーでものすごい可能性を見せてくれた選手だ。サッカーで言う「ファンタジスタ」でありゴールゲッターでもある魅力的な選手だったが 卒業後は日本を離れ米国に渡ったあたりまでしか掴んでいなかった。自身、バスケットは全然詳しくないのであるが 彼のプレーは本当に見ていて楽しかったし、日本人としてもそう高くない身長(170cmちょっと?)で素晴らしいシュートをばんばん決めたり ノールックパスを次々に繰り出すのを快感に思っていたものだ。

今まで時々 田臥勇太(なぜか必ずフルネームで思う)、どうしてるのかなぁと考えることがあった。
日本バスケットの星 10年にひとりの逸材と言われた彼でさえ 米国では苦労しているんだろうか、出場の機会さえ得られないのだろうか、と。

田臥の所属するNCAA (ハワイ・ブリガムヤング大学) は学業成績が一定のレベルに達さないと試合にも出場出来ないのだそうだ。更に故障。それも椎間板ヘルニアで、昨年11月に手術を受けて以来 実戦から遠ざかっていたのだという。今回のヤングメン出場に向けては 自主トレをして備えたのだそうだが 久し振りの実戦で動けたことは本人も嬉しかっただろう。プレースタイルに通い合うものがあって 更にとっさの時に叫ぶのも母国語で通じる日本チームで復帰戦を戦うのは 彼にとって良かったかもしれない。

ハワイでがんばれ田臥勇太!
更に進化したプレーでいつか日本のメディアに載ってくれるのを待っているから。

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06 AUG 2001 MON サマージャンプ札幌2連戦
 (スキージャンプ)
☆ お天気
すずし〜(28℃) あとは雨待ち

8月4日・5日の2日間、札幌でサマージャンプ大会が開催された。
4日は大倉山ジャンプ競技場 (ラージヒル) でUHB (フジTV系列局) 杯、5日は宮の森シャンツェ (ノーマルヒル) で札幌市長杯。それぞれ 高校生の「少年組」と それ以上の「成年組」のカテゴリがあったのだが、少年組はひとりの選手が連勝をさらった。北海道勢でもなく 長野県勢でもなく 群馬県の利根商業高校3年の高野鉄平くん。
7月21日に行われた 大倉山札幌市長杯でも優勝しているので これでサマー3連勝となった。

もともとはノルディックコンバインド (複合) の選手で 高校1年生ですでに ジュニアのA指定強化選手に選ばれていた。当時のインタビュー記事には 「目標は (荻原) 健司さんです」 と言っているという彼のまだまだ子供っぽい写真が添えられている。A指定まで受けた選手が いくら類似しているとはいえ 競技を変更するのは珍しいと思うが、ジャンプの技術は飛び抜けて優れていたらしく 当時のコーチは もうジャンプは完成されている、といったようなコメントまで残していた。

コンバインドのジュニア事情は詳しくないのだが ジャンプに関しては最近ジャンプ少年団の希望者が減っているらしい。各地のジュニア用の台もサマー仕様に改築する所が増えてきているにもかかわらず、だ。
北海道でもコンサドーレがJ1に上がって サッカーを希望する子供が増えているのだろう。

一般にジャンプを夏もやっていることを知らない人は多いだろう。
「夏って選手はなにやってんの?」
ちょっと知っている人だって 「あぁ 人工芝の上 飛んでるのよね」 くらいの認知度である。
選手は春に陸上トレーニングを始めて身体を作り、初夏の頃から陸トレと併せて サマー台で飛んでいるのである。
サマー仕様の台というのは 人工芝を敷き詰めてあるのではなく (確かに遠目にはそう見えるかもしれない) 台を滑り降りる部分 (アプローチ)はレールを付け、着地する部分 (ランディングバーン) には 細いひも状のナイロン (?素材は良く判らない・・・石油製品だと思う) を重ねて敷いてあるものだ。摩擦熱が発生するので 定期的に散水をして使用するので 天候によっては虹も見えたりしてサマージャンプ観戦は気持ちの良いものだ。

今季 全日本ジャンプチームは3月末にスノーシーズンが終わってまもなくトレーニング合宿を開始した。
もちろん 来年2月に開催されるソルトレイクシティ冬季オリンピックを視野に入れてのことである。
今週末には 国際試合であるサマーグランプリシリーズが ドイツを皮切りに欧州で4戦、その後9月には日本で3戦が行われる。
ウィンタースポーツは どうしても報道の露出が少なく、全日本チームの活躍に負う所が大きい。
子供達の目に触れるくらい ヨーロッパで良いところを見せてくれることを願う。
葛西紀明・原田雅彦・渡瀬雄太・船木和喜・吉岡和也・佐藤昌幸・安崎直幹の全日本チーム7選手は8月8日に日本を発つ。

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07 AUG 2001 TUE 国立スポーツ科学センター
 (JISS)
☆ お天気
釧路は朝9.9℃だったって!

やっと日本にも国立のスポーツを科学する施設が出来、今日 8月7日に完成記念式典が行われた。
まだ 建物の竣工のみで開所は10月だという。スポーツ科学・医学・情報の調査研究施設、トレーニング施設を備え、トップレベルのアスリートをサポートして行こうというものだ。場所は東京 国立西が丘競技場内。未完成ながらサイト http://www.jiss.ntgk.go.jp/ も出来ているので 覗いてみると・・・

研究施設はともかく、トレーニング施設の対象となるスポーツは夏のオリンピック競技なのだな。冬の競技に使えそうなのは 「低酸素トレーニング室」くらいか。(「低酸素宿泊室」 もある。高地トレーニングは確実に肺に利く。以前10日間以上スイスの山にいた直後パリに行ったら メトロの階段2段おきにだって軽々上れちゃうくらいだった。まぁ そんな低レベルの話は別として・・・)
やっぱり冬用には札幌か北海道のどこかに別に作るしかない。「長野」 前にだったらなんとか出来ていたかも知れないが 今後ウィンタースポーツに資金が出るかどうか。官も民も財政厳しき折に ほとんど絶望的だが微かな希望は持っておこう。

また 箱物を作っても優秀な人材が揃わなければ無用の長物、という問題もある。企業に依存したり 個人のボランティア的精神に頼るのではなく、「あそこへ行けば ×× さんがいるから (安心して任せられる)」 と言われるくらいのプロフェッショナルな人材を得て 安定して継続的な運用が出来るようになってもらいたいものだ。

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08 AUG 2001 WED SLC (ソルトレイクシティ)
☆ お天気
快適〜!(25℃程度)

あと半年後に迫ったソルトレイクシティ (SLC) ・冬季オリンピックの観戦チケット 日本国内販売割り当て分が一部競技に限って追加発売された。(8月8日より 「ぴあ」 にて) チケットは組織委員会の公式サイトでもネット購入出来るのだが これは米国在住者に限られており、知り合いがアメリカに住んでいるでもない限りは 日本在住者はJOC (日本オリンピック委員会) に割り当てられたチケットを購入するしか方法はない。
それにしても今回の大会、何と言ってもそのチケット代金の高いこと高いこと。これは日本で買うから高いというのではなく ドル建ての元々の券が高額なのだ。開閉会式はUSD885 (1ドル125円で約11万円 ・ 日本での販売額は11万8千円ほど+送料手数料1000円) もする。

今 手元にある資料で比較してみると更に高額感が一気に増す。SLCから遡ること10年のアルベールヴィルでは開会式は日本国内販売額 28、640円 当時若手選手だった原田も出場した ジャンプ・ノーマルヒルは 4、000円しない。

長野の時は 開会式が最高カテゴリで 35、000円 (これでも当時はぶったまげた) ジャンプ・ノーマルヒルは7、000円であった。(ラージヒルは10、000円と6、000円の2カテゴリ)

SLCのジャンプはノーマルヒル USD150 (18、750円) ラージヒル USD190 (23、750円)、そして今までの大会でチケット販売があったかどうか記憶がない 公式練習+予選にも USD95 (11、875円) もの値段をつけている。

果たしてスポーツの観戦チケットとして真っ当な金額なのだろうか、と疑問に思わざるを得ない。TV放映権料は高騰の一途をたどり このままでは有料放送でしか視聴できない事態はもう目の前に来ている。(2002サッカーWCの例を見るまでもなく)

試合日程・時間の設定も放映権収入を優先しているとしか思えない。ジャンプに限ってしか調べていないのだが 自国での人気度は低くTV視聴率は多くを望めない競技だが 欧州での人気度、TV放映のことを配慮に入れてだろう、試合開始時間は朝の8時30分または9時に設定されている。(中央ヨーロッパ時間で18時30分または19時) 冬季オリンピック大会としては今までのうちで最高地、加えて早朝の厳しい冷え込みが予想される寒冷地 (夏は逆に40℃にもなる) という事情が考慮される余地はそこにはない。選手のみならず観客も健康管理が大変だ。

メダル授与式にも入場券が必要になる。現場の混乱を避ける意味合いもあるにはあるだろう。選手と大会ボランティアには一定の枚数が割り当てられているようだが 一般の観客が今日メダルを獲った自分の応援している選手の晴れ姿を見に行っても会場には入れない。(メダル授与式については 入場券は販売ではなく申し込み制のようだが 当日券が用意されているのかどうかは不明。)

IOC新会長 Jacques ROGGE がSLCを視察に訪れている。パークシティにあるジャンプ台にも行き、そこで夏合宿を行っていたフランスチームの選手と挨拶を交わしたり 選手村として建設された簡素なマンションの一室に宿泊したりと 一時は緊張関係にあったSLC組織委員会とも友好的な関係の再構築を内外にアピールしているようで ハード面 (施設)での準備状況には満足していると伝えられた。

IOCが20数年振りに新体制となった今こそ 余りにも行き過ぎた商業優先主義にはある程度の歯止めをかけるチャンスではないか。 前任者 Juan Antonio SAMARANCH の直系の後継者とは言え このまま肥大して行ってはオリンピックは富者の為の大会と成り果てるしか道がないように思えて仕方がない。だがこれについては今のところ何も聞こえて来ないのは この路線は踏襲されるべきものということなのか。
3〜4時間のイベントに11万円支払うことを正当と思う人が 世界にどれだけいるというのだ。

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09 AUG 2001 THU REAL PROFESSIONAL BASEBALL
☆ お天気
ちょっと暑い、が 許容範囲 (30℃以下)

8日に行われた日本のプロ野球で久々に 「おぉっ!」 というプレーがあった。
ダイエーのヴェテラン ライト秋山幸二の守備である。TV中継はなかったので 夜のスポーツニュースでそれを見た。一部分を切り取って伝えられるのを見ただけであるが 球場にいたらよく解らないプレーだっただろう。あるいは 「ナニやってんじゃ 秋山!」 と思ったファンもいたかもしれない。映像で確認してみて はじめてその意図が理解できるような 高度なプレーだったのだ。

福岡ドーム 対ロッテ戦 ダイエーホークス 3点リードの 6回の表。ここまで零点に押さえられていたロッテマリーンズに 1アウト 1・2塁の絶好の得点機が訪れた。ここで1本長打が出れば 1点差に追い着くチャンスに バッターの打った打球はライナー性の鋭い飛球となってライト方向へ飛んでいく。長打!と思った瞬間、カメラが捕らえたライトの秋山は守備位置からやや下がり 前を向いたままボールを見据えて捕球体制に入った。ライト犠牲フライ。それを見て 2塁走者が捕球後のタッチアップに備えて塁上に戻り、ハーフウェイにいた 1塁走者はその動きを見て戻るための体重移動をする。

が、構えてキャッチすると思われた秋山の頭上をボールは抜けてフェンスに直撃。ここで初めてヒット、それもフェンス直撃の普通なら 2塁打になる長打と確認できた走者はそれぞれスタートを切るが 次の塁に進むのが精一杯だった。 まっすぐ前を向いたまま打球を見送ったあと すぐさま振り向いた秋山の真後ろには クッションボールが捕球に丁度良い高さで帰っており、キャッチした秋山から内野に向けて投げられていたためである。

走者一掃の 2塁打、2得点 1アウト 2塁のはずが 無得点 1アウトフルベースに代わり 続く打者の併殺打でこの回のダイエーの危機は去った。その裏ダイエーは更に2点を加え、結局ロッテはこの後も得点出来ずに試合は終わる。

あの時普通の守備をしていたなら恐らくロッテに 2点が入って 3対 2、まだ 6回ということもあって その後の試合展開はまったく違っていたかもしれない。秋山のダミーの捕球体制、それも打球のコースを読み そのリバウンドを予測した上での前を向いたままでの守備位置取り。
ホームランをフェンス際でキャッチするような派手さは無くとも 「これぞプロフェッショナル!」 と野球好きを唸らせる、めったに見られないスーパープレイだった。眼福眼福。

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10 AUG 2001 FRI 投手というもの 〜 KUWATA !
☆ お天気
30℃超しちゃった・・・

今日は何と言っても桑田だ。首位ヤクルトとの絶対に落とせない直接対決第一戦。チームの勝利のみならず 個人の記録150勝を 421日振りの先発勝利で勝ち取った桑田真澄が本日の主役。このプロ44人目という 150勝に絡めた記事で改めて色々な事を思い出した。

初勝利は1986年であったという。PLからジャイアンツに入団が決定した当初、18番のエースナンバーをつけることになる天才投手の目にはこれから進むべき輝ける一筋の道だけが見えていただろう。15年で150勝など低すぎるハードルだった。200勝、いやそれ以上が当然。周りもその事に関しては異論は無かったはずだ。

しかし すぐに追いかけてきたのは高校時代に注がれた賞賛ではなく 斜めから見た批判だった。PLのもうひとりの大スター これも天才と呼ばれた清原和博の涙の記者会見が 本人たちの野球そのものに関する評価を越えて 「桑田=ダーティー」 の図式をマスコミが描き始めた最初のきっかけだった。巨人に入りたかった、一位指名は自分のものだと思っていた清原は よりにもよって3年間共に苦しい練習を重ね 共に栄光の歴史を刻んだチームメイト桑田への巨人一位指名の報をマイクとカメラに囲まれた記者会見の場で知る。自身への指名交渉権を得たのは全く眼中に無いパ・リーグの球団、西武ライオンズ。 茫然自失といった表情のまま高校生の清原は真っ赤に腫らした目を隠すことも出来ず カメラの前で泣いた。

「裏切り」「密約」 ドラフト会議の翌日、スポーツ紙は桑田の巨人一位指名をこう伝えた。丸くカットインされた写真の中には 会見場のテーブルで一言も発さなかった学生服姿の清原がいた。いわく 清原が巨人を熱望しているのを知りながら 桑田が横取りした。いわく 巨人は清原に一位指名を約束しながら 裏では桑田と話がついており 桑田はそれを清原には告げなかった。そういうストーリーが既に出来あがっていたのだ。

筆者は事の真相には興味が無かった。ただ桑田のピッチャーとしての天才が好きなだけだった。江川に関しても同様である。投手としての抜きん出た才能を ほかの事に絡めて貶める必要はないと考えるからだ。 「投げる不動産屋」「省エネ財テク投法」・・・ 負ければそんなキャッチばかりが付けられても 本人たちには反論する場もない。ただ試合で投げて 勝つか負けるか。江川の、桑田の投手としての才能を潰しにかかっているとしか思えない馬鹿げた記事には心底失望したものだ。そんな事を知りたいんじゃない。スポーツ報道に求めるのはそんな事じゃないんだ。この場面で何故あの球を投げたのか あの場面での駆引きがどうだったのか。どうしてそういう事を伝えてくれないのだ。

今年 桑田は開幕後2度の二軍落ちをし、スポーツ紙では「引退」の大見出しが幾度となく打たれた。またか、と思いながらも まさか、とも思った。若い頃から 40いくつまで投げるために身体を作っていると言っていた桑田でも二軍にいたのではそれも叶わないからだ。今年だめなら本当に引導を渡されてしまうのではないか。早く上がって来い、桑田。うるさい奴らに 「これが桑田の投球だ」 というのを見せてやれ。

奇しくも今日は横浜ベイスターズの頭脳派にしてチーム最年長投手 小宮山悟もその持ち味をいかんなく発揮して勝利を手にした。
速球でガンガン押していくピッチャーは見ていて気持ちがいい。速球と変化球との落差が激しくて つい手を出してしまうバッターが空振りするのも面白い。
だが 桑田や小宮山のように いわゆる 「球の出し入れ」 で翻弄し、バッターとの心理戦の駆引きで組立てていく投球術を見るのは それ以上に深い面白さがある。ホームランのような華はなくとも MAX 150km/h 超 の速球はなくとも 野球ってこんなに面白かったんだ、と思わせてくれる選手の存在は大きい。
サッカーに客を奪われたとか 視聴率が下降しているとか 瑣末な事に囚われているのがバカバカしくなる。
ただ 魅力あるプレー、それだけが必要なんだ。
楽しかったよ、桑田! また 見せてくれよ!と 言わせるプレーだけが。

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11 AUG 2001 SAT FIS SG 開幕第一戦
 (スキージャンプ)
☆ お天気
南ドイツは良い天気

2001年FISスキージャンプ・サマーグランプリ (SG) がドイツ・ヒンターツァルテン (Hinterzarten) で開幕した。今年はヨーロッパで4戦、アジアシリーズとして日本の札幌で1戦と白馬で2戦が行われる。
何と言っても冬が本番のこの競技、夏の大会は来る冬に向けて 板やジャンプスーツのマテリアルを試したり フォームを確認したりする場であるという認識が高い。実際、夏の大会で抜群の成績を収めたからといって それがそのままその年の冬シーズンの成績に当てはまらないことは 例年の結果を見てもわかる。昨冬季 爆発的に勝利した Adam MALYSZ (アダム・マリシュ・POL) の姿をSG当時に誰が予想できたであろうか。(本人と 強化プロジェクト関係者でさえ 強化の成果は信じていたとしても、あそこまで他を寄せ付けない圧倒的勝利を続けることは想定外であったはずだ。)

そうとは 解っていてもついつい期待してしまうのは仕方があるまい。なにしろ 3月末にスノーシーズンが終了してから いくつかの国内サマージャンプ大会があるにはあっても 現地に観戦に行かない限りは、ほとんどの人は試合の結果だけをやっと知ることが出来る位でしかなく、「ジャンプ見たい病」 が重篤になって来ているタイミングなのであるから。ジャンプ好きとは因果なものよ、と自嘲しつつのネット観戦と相成るのであった。

ヒンターツァルテンはドイツの最南西部、シュヴァルツヴァルト (黒い森) 地方に位置するごくごく小さなリゾート地である。スイス国境に近く、大学都市として名高いフライブルク (Freiburg) からローカル線で行く、一般の日本人にはまったく馴染みのないこの小さな町に 毎年数万人の観客を集めて その年のSGは開幕するのが近年の習いになっている。今年は全7戦で行われるが 昨年度は全10戦が組まれ、サマージャンプ自体が一般に認知され 観光客の誘致も図れるとあってドイツ各地ではジャンプ台のサマー仕様化工事が多く行われている。日本国内ではにわかに信じがたいほどジャンプ選手の人気度は高く、10代の女の子に追い掛け回されるアイドルにされている。そんな状況でのSG開幕戦は 前日の公式練習・予選だけでも一万人の観客を集めて開催された。

試合開始は日本の21時 (現地14時)、常時接続を入れていない身としては電話代が気になるが それでもネット観戦が出来るようになって、文明の利器の恩恵を有難く享受する。日本国内戦はTV中継がない地域ではまったく見ることが出来ないのに外国の試合は見られるという、理不尽な逆転現象もドイツでのジャンプ人気のおかげでもあるのだから これも有難う、と言っておこう。 (因みに SGやWCでドイツのTV局が日本の試合を中継するときは これも当然ネット観戦が出来るのだから逆転にねじれも加わった 摩訶不思議な事態になっているのだ。)

試合は一本目から 106m を飛んで 139.0点でトップに立ったマリシュが 二本目もこの回のトップ (103.5m・133.5点) を取り、完全優勝。今年もマリシュの一人勝ちになってしまうのか、と一瞬思ったが よくよく結果を見ると昨季のようなダントツの差をつけての勝利ではなく、上位選手陣とは飛距離・飛型点とも肉薄していたことが判った。SGは冬を占う場ではない、また第一戦で状況を分析するのは早すぎると自覚していながらも 「今年は試合がおもしろいかも」 などと 深夜になって出た公式試合結果をダウンロードして 一人数字を比較するのも楽しい作業である。 

今日の明るいニュースは 船木和喜の4位入賞。しかし 日本チームは7選手出場中、本戦出場6名 決勝進出3名と 他の強豪国に比べるとかなり低調である。今 成績を気にすることはないとは言え、すぐ後ろから スロヴェニアなどの今までは完全に格下であった国々が虎視眈々と上位進出を狙っており だんだんと着実に成果を挙げつつあることは確かだ。

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12 AUG 2001 SUN FIS SG 第二戦
 (スキージャンプ)
☆ お天気
天気は良いが 風がありそうな・・・

昨日に引き続き ヒンターツァルテンでSG第二戦が行われた。今年も万全と昨日思ったばかりの Adam MALYSZ (アダム・マリシュ POL) が入賞圏外の9位に終わり、なんとか3位に踏みとどまった Martin SCHMITT (マルティン・シュミット GER) が去る1月の白馬で失ってから2度と取り戻せなかった勝者の印 イエロービブを胸にした。
この試合は風の当たりはずれの影響が大きかったと見えて、一本目と二本目の上位順位は激しく入れ替わった。シュミットは一本目、2位の DUFFNER (デュフナー GER) に8点差、3位マリシュに9点差をつけての1位折り返し。これはこの台がノーマルヒル (K95) であるので 点差を単純に距離換算するとそれぞれ 4m と 4.5m のマージンを得たことになる。恐らくは会場に詰め掛けたファンは 彼のぶっちぎり優勝を期待していただろう。 が、あろうことか決勝ラウンドである二本目、最終競技者として飛んだシュミットは この回30人中17位となる 98.5m に着地したのだった。そして 実はこの二本目の成績は、そのふたり前に飛んだマリシュと全くの同距離・同得点 (当然 同順位) であった。また 1本目にマリシュと同点で3位につけていた原田雅彦には 逆転の最年長優勝記録達成の期待も掛かったが これもまた17位で 結果マリシュと9位を分け合ったのである。

1位2位はオーストリア勢、HOELLWARTH (ヘルヴァルト) と GOLDBERGER (ゴルトベルガー) で これでこの2戦を戦って同国はポイントを獲得出来る決勝進出者が6人・5人と、延べ11選手になっており まさに絶好調である。今の勢いで団体戦を行ったら オーストリアの完全優勝は疑う余地のないものであろう。
マリシュひとりの成績が目立つばかりで ほかの選手の影はすっかり薄かったポーランド勢から Wojciech SKUPIEN (ヴォイチェク・スクーピエン) が7位につけ、アダム台頭後 久し振りに彼以上の成績を収めたのだった。長野オリンピックメンバーでもあり、WCではそれなりの成績を収めていたスクーピエンは 昨季のアダムの突出ですっかり陰に隠れてしまっていたが、今季は彼も伸びてくるのだとすると 試合としては更に面白くなる。ただ マリシュひとりでも 狂信的・破壊的とさえ言える応援を各地で繰り広げた一部のポーランド応援団が 更にエキサイトしないことをひたすら願う。

日本勢は 9位の原田をトップとして 14位 船木和喜 27位 佐藤昌幸 と、今日もまたポイントを得たのは3人のみであった。他の4選手は予選不通過、つまり試合に出場さえしていないことになる。短期間の遠征なので途中帰国やメンバー交代はないが、試合に出られるコンディションではないとしたら この時間に一本でも多く練習で飛べた方がいいのだが・・・ 
いや 今は春からのトレーニングの成果の途中経過を見るだけなのだから と思考はきのうからどうどう巡りの繰り返しである。因果だねぇ。当事者でもないのに。

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13 AUG 2001 MON 長野・その後 (競輪)
☆ お天気
一日中曇りだし 30℃以下だし・・・

小さな小さな記事で 植松仁の名を見つける。競輪の結果を伝えるものだ。普段、一般紙のスポーツ欄では競輪は報道されることが少ない。競馬はメジャーになったが 競輪・競艇・オートレースはやはりギャンブル色が強いということか。どうしているかと気になっていたはいたのだが、デビュー戦で二着に入ったと伝える記事だった。

植松仁は長野オリンピックの銅メダリスト。スケートのショートトラックの選手であった。試合を一度でも見れば その面白さはダントツのショートトラックであるのだが どうしても競技の知名度・認知度は低く、植松は選手として勝負を追い求める努力のほかに 選手生命を繋ぎ留めるよすがを常に自ら探し求めなければならなかった。つまり、選手活動をサポートしてくれる資金源。率直すぎる言い方ではあるが、一日一日のトレーニングも試合に出るのにも お金は必要だ。彼は どうにかして資金を出してくれる相手を見つけ出しても その都度企業の社業縮小などの障害が現れ また新たな相手を見つけなくてはならなくなることを繰り返した。長野でメダルを取った後でさえ、である。メダリストとしての栄光をわずかでも享受できたのは わずか5ヶ月、その年の7月には勤務先から解雇されてしまったのだ。

熱狂も興奮も 資金を提供するまでには至らず、この国にはおおやけにスポーツ選手を、メダリストでさえをも万全にサポートするシステムもない。自身のアルバイト生活や有志による募金活動にも限界があり 最終的に植松は競技を諦めなくてはならなくなった。スケートの強化の一環として多くの選手が取り入れている自転車競技でのプロ=競輪選手となることを決意する。長野から二年しか経っていなかった。

競輪学校に特別枠で合格し、プロレーサーへの第一歩を歩き始めた昨年春頃の新聞記事では どちらかというと童顔で可愛らしい印象の彼が坊主頭になっていて 競輪というまた別の世界に同期生よりも遅れて挑戦する事の厳しさが語られていた。
今年4月に卒業、今日のレースでやっと新しい道での第一歩を踏み出したことになる。ショートトラックは まったく競輪に似ている。始めの周回は他者との駆け引きで順位がめまぐるしく入れ替わり、ラスト一周の銅鑼がジャンジャンと打ち鳴らされると凄まじい争いが展開される。相手を読み、自分の力をどこでどうやって出し切るかの勝負。が、今度は自分の成績が赤の他人の懐具合を左右する 現実的な職業だ。資金不足などの環境に冒される事なく、アスリートとしての実力を発揮できる現場であるとも言えよう。どうか今度こそ彼の前に道が輝くように、と願わずにはいられない。

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14 AUG 2001 TUE FIS SG 第三戦
 (スキージャンプ)
☆ お天気
フランス・アルプスは快晴の様子

サマーグランプリは1日の移動・休養日を挟んで フランス・クールシュヴェル (Courchevel) へと戦いの場を移した。第一・二戦の行われたドイツ・ヒンターツァルテンから南西に下ってスイスの西端を縦貫、フランス領に入りモンブラン山系を左に見ながら通り越したら フランススキーの一大リゾート サヴォワ・アルプスへと至る。山の中に分け入る道をたどり 標高1250m の位置にクールシュヴェルのジャンプ台はある。

1992年 アルベールヴィル (Albertville) 冬季オリンピックのジャンプ会場となった場所だ。ここで原田雅彦を含む当時の日本ジャンプ陣は目を引く成績は収めることが出来なかったが、ノルディック複合で荻原健司・河野孝典・三ヶ田礼一の三人による団体戦金メダルを掴むことになる 前半のジャンプが行われたので映像は目にしたことが必ずあるだろう。複合という競技の存在自体を日本中に知らしめた、思い出深い台だ。

もともとフランスではジャンプの人気は高いとは言えないが、試合が入場無料で開放されていることも手伝ってか 昨年同様約一万人の観客が訪れたそうだ。(日本では人気は高くても観客数が一向に伸びず、1000人に満たないことさえある。) コアなジャンプファンばかりの会場とは違って、どこかのんびりしたような雰囲気が ネット観戦の画面からですら漂ってくるようだ。

ヨーロッパの暮れない長い夏の午後の日差しの中、一本目のジャンプが始まった。ゲート設定が低いのか ラージヒル (K120) の試合ではないような飛距離ばかりが続く。全日本チームは予選を通過した5選手のうち 船木和喜と葛西紀明が2本目に進めない。葛西は夏前半の好調さをまったく発揮できずにここまで来てしまっている。タイミングなのか 或いは体調なのか。20歳台の選手はこれまでの人生の半分以上の期間をかけて 何百何千という飛躍をしてきている。29歳の葛西は中学生の時にはすでにその類まれなジャンプの才能を広く知られていた。どんなに努力を重ねてきても、またどれほどの実績を積み上げてきても 風という自分ではどうすることも出来ない外的要因が加わったり ほんの少しの何かのずれや歪みが生じると一気に陥落してしまう、この競技の難しさを知る。

一本目を終わって ポーランドのワンツー。それも一位はマリシュではなく 全選手中ただ一人 K点を超えた Wojciech SKUPIEN (ヴォイチェク・スクーピエン)。いよいよマリシュ効果がほかの選手にも及んできたことの顕れなのか? 日本からは原田が5位、現役最年長優勝記録更新を逆転で飾ることが出来るのか 一位との差 10.3点は飛距離にして 6m 足らず。渡瀬雄太・佐藤昌幸も決勝ラウンド進出を決める。

二本目はゲートが上がり (9番 →12番) ようやくラージヒルらしい距離が出るようになるが 風の当たりはずれが大きく結果を左右したような形になった。順位は大幅に変動し、10位から 127.5m のこの日の最長不倒距離を出した Andreas WIDHOELZL (アンドレアス・ヴィドヘルツル AUT) が優勝、原田は15位、渡瀬・佐藤は22位と23位だった。

しばらくして出た公式記録によると 一本目の飛距離は 78.0mから 121.5m 二本目 104.0mから 127.5m 。一本目ぎりぎり通過の30位の選手は 106.5m から 113.0m 、滑り降りる時のスピードは 93.6km/h から 95.3km/h 。( 全選手平均は 92.7km/h と 94.4km/h ) 3段階ゲートが上がった効果はすぐに現れたことになる。ただし 一番影響を及ぼしたと思われた風の強さは 一本目 0.2 km/h から 1.6 km/h  二本目 0.3 km/h から 1.6 km/h となっており、数字には現れない 「風向き」 (巻く風や台の上下で方向の違う風) に大きく影響された選手が多かったことを窺がわせる。結局スクーピエンは4位でフィニッシュしたが マリシュ以外のポーランド勢が入賞したのはここ2年以内で初めてではなかったか? また開催まで半年を切ったソルトレイクシティオリンピックのホスト国のアメリカからは 強化選手の一番手 Alan ALBORN (アラン・アルボーン) が初の6位入賞。競技関係者だけでなく SLC大会関係者をも喜ばせる入賞だっただろう。 
次戦は場所をオーストリアに移し サマーグランプリ・ヨーロッパラウンドの最終戦を18日に行う。

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15 AUG 2001 WED 葛藤 (サッカー日本代表)
☆ お天気
試合開始ころは27℃の静岡

今年コンフェデレーションカップで雨中の準決勝戦を戦った相手、オーストラリア代表を迎えての代表Aマッチ。WC本番の会場でもある静岡のレコパスタジアムはほぼ満員に近い様子。キックオフ直後は数回攻められはしたものの、今回来日のオーストラリア代表ではむしろ危ない場面を作り出してしまうのは こちらのミスが原因であって 、「攻め込まれる」 ような オーストラリアが自ら創出したチャンスはほとんどなかったと言っていいだろう。先回のコンフェデに比べたら 名前は同じでも中身はまったく違うものであって、このチームにもし一点でも取られたら そっちの方がヤバイ、と途中から思い むしろはらはらしてしまった。

日本は前半はまだしも 後半は相手に合わせてしまっているのか?と思えるような状況も多々見られたと思う。相手のレベルを考慮に入れず、完膚なきまでに叩きのめす。次に当たったときに いやーな印象を持たせる、マイナスの状況でスタートを切らせるような 「記憶」 を相手に植え付ける。そういう事が出来るゲームだったのに、と残念に思った。

今日26歳の誕生日だという川口能活は 同時に代表Aマッチ50試合目の節目の日となった。 一時は楢崎正剛が正キーパーと言われ出場機会もない日が続いたが、今の川口には 「成長」 という言葉がとてもマッチする。若く、努力を一分も惜しまない代わりに 他者の無気力や無自覚に苛立っていたアトランタ・オリンピックの頃を思えば 「大人になったよなぁ」 とつくづく思う。

GKは試合だけでなく 練習のときですら孤独だ。フィールドプレイヤーとの芯からの連携は お互いが尊重し合う気持ちを持てるまでにならなければ得られない。そしてそれは言葉以上に得難いものだ。たった一言、走り疲れたフィールドプレイヤーが 「キーパーはいいよな (走らなくていいんだから) 」 と言えばGKは100人中100人がブチ切れる。自分が走って得点を得られるのであれば 死ぬまで走ってやる、それならお前がここに入れ と怒りを爆発させる。だったら次の試合は一本も (シュートを) 止めない。自分達だけが攻撃で辛い思いをしている、自分達の力だけで試合を作ってるとフィールドが思っているのなら GKは立ってりゃいいんだろう。自身、競技は違うがこのポジションであった頃に ほかの総てのGK経験者同様にそういう諍いをした。

お互いが尊重し合うため、また試合に勝つ為には より多く歩み寄らなければならないのはGKの方なのである。フィールドよりも 「大人」 にならなければならない、「大人」 でいなければならない。
様々な葛藤を抱えながら GKは成長するのだ。その成長のしるしを今 川口が見せていることがうれしい。GKは精進すれば活躍できる期間はフィールドプレイヤーよりも遥かに永くすることが出来る。苦しんだ分、多くを受け取って 更に成長を止めないで欲しいと願う。

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16 AUG 2001 THU 良識の範囲 (高校野球)
☆ お天気
甲子園は暑そ〜(満員)

今日の甲子園は入場券が完売したそうだ。
恐らく いままで松坂が持っていた甲子園史上最速投球記録 ( 151km/h ) を更新するに違いないと 前評判の高い投手のいる高校が出場するから、というのも理由のひとつだっただろう。
確かに 彼は 154km/h の球を投げ、ボールになりはしたものの新しいレコードを樹立し、その瞬間 甲子園がどよめいたという。

地元以外の一般人が 「そういう選手がいる」 ということを知る手立ては報道によってである。春の選抜と違って 夏の大会は地区予選の段階から全国規模で報道が展開されているので、北海道の住民が九州のすごいピッチャーのことを知っていても 不思議でもなんでもない。新聞に限らず 地区の決勝ともなれば試合の様子がダイジェストで全国に流される事だって普通にある。高校生の野球選手に関する記事やニュースは 試合結果に限らず、時には寮生活やプライベートな練習の映像もあったりする。かつて 「怪物」 と呼ばれた江川や先の松坂などは 行き過ぎた報道の被害を相当に被ったであろうことは万人の認めるところだ。彼らのケースは学校の部活動の一環としての大会である、という常識からは完全に逸脱する 過剰取材・過剰報道であったことに異存はない。

全国高校野球選手権大会本部は 東北の出場校の女子マネージャーが地元紙に手記を連載している事に関して 高校の責任教師に対し、取材を受けないよう注意したという記事があった。
「取材、報道の良識の範囲を越えている」 という理由からである。
大会本部は出場校が試合に集中出来るよう 取材の場所や時間、方式などについて チームと報道各社に節度を求めているが、「こういうことが選手にまでエスカレートすると 収拾がつかなくなる」 からだという。
手記を掲載している新聞社は本部からの注意を受けてはいないこと、また取材・報道の責任は学校側ではなく社にあることから 抗議すべきは学校ではないこと、また良識の範囲を逸脱しているという見解に疑問を呈す としている。

実際にその取材がどのような方法でなされたものなのかは解らない。しかし掲載された手記を見る限り、ほとんど他愛の無い 「日記」 のようなもので 分量も原稿用紙一枚分にも満たない程度だ。良識の範囲を越えると言われるほどの事だとはどうしても思えない。
大会期間中の現在進行形手記でなければよかったのだろうか。それとも 「手記」 という形式事体が問題なのだろうか。試合そのものに関すること以外での記事がいけないのだろうか。あるいは もし選手・マネージャー個人がインターネット上で公開したとしたら どうだったのだろう。

総元締めである高野連・大会本部に名指しで「こういうことが云々」 のように全面否定的に言われてしまったのだから 当のマネージャーは相当意気消沈していることだろう。自分が部に迷惑を掛けてしまう結果になったことを悔いているかもしれないと思うと気の毒である。
この際 高野連・大会本部はある程度のガイドラインを示すべきではないだろうか。
先日の田中長野県知事の 「着ぐるみ応援禁止」 の件もただ 「ふさわしくない」 としか理由が説明されなかったが あまり強権的で抽象的な制限事項ばかりでは 高校関係者はこれはいいか これでは怒られてしまうか、と 「ヒラメ」 になってしまう。(上ばっかり気にして見ている)

(県知事の着ぐるみに関しては 制限事体は良いと考える。何故なら あれは知事本人のシンボルであって 長野県や当該高校をシンボライズしたものではなく、個人の売名行為と取られても仕方ないからである。ただ 着ぐるみが節操のない応援方法だとは思わないが、はっぴもだめというのなら 着ぐるみなどは高野連にしたら論外なのだろうな、と思った。また この件でも注意を受けたのは知事本人ではなく高校側で事後だというが その場で本人に注意すれば済む話ではなかったのか。応援席のアルプススタンドにおいては 全責任が高校にあるのだろうか。高校側は高野連・大会本部に弱い立場と言えるから 注意を受けただけでもびびってしまうだろう。余りに現実と乖離した 「高校生らしさ」 の強要は どこか恐怖政治めいていて嫌悪感を覚える。)

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17 AUG 2001 FRI 退場 (BASEBALL)
☆ お天気
神宮は1日晴れ

審判の判定を巡って抗議した 横浜ベイスターズの森監督が退場処分を受けた。対ヤクルトスワローズ、ここまで両軍とも得点なく 0 対 0 の緊迫した展開で延長に入っていた。12回表1アウト3塁、ヒットが出れば 試合が決まる可能性大の局面に横浜の打者 佐伯の打った打球はレフトへの浅い飛球となって飛んだ。ヤクルトの左翼 ラミレスが突っ込んでくる。が、わずかに届かず、ショートバウンドでグラブに収まった。スロー映像を見るまでもなく、確かにショートバウンドの取り方だった。しかし判定は ダイレクトキャッチで打者はアウト。当然 ベンチから監督以下が飛び出して 審判への抗議となる。だって 誰がどう見てもダイレクトキャッチではあり得ないのだ。判定は覆されるはずだ、正しく「ヒット」と訂正されるはずだ と確信しての抗議であったと思う。森監督でなくとも 先日の巨人・ヤクルト戦での 仁志のホームラン誤審が覆った件が頭にあったからだ。あのホームラン判定がファウルと訂正されるのならば このダイレクトキャッチ判定も必ず訂正されなければならない、明白な誤審であったからだ。
しかし 今回は審判は判定を譲らず、強硬な抗議の態度表明として森監督は選手をベンチへと引き上げさせた。ただし ここで踏まえて置くべきは 選手をベンチに引き上げさせて判定が覆った事例がかつてあったか、ということである。態度表明としての手段ではあるが、落しどころを押さえなければ 場内の観客にも失礼である。結果、抗議開始から28分で 森監督に対して退場の宣告がなされ事態収拾を図った。

なんとも釈然としない試合になってしまった。結局延長時間切れで引き分けに終わり、首位ヤクルトにはマジックが出た。森監督の退場理由は 「試合続行の要請を拒否」 したためと発表されると、当然の如く 当事者からは反論が出された。もうこの時点で言った言わないの水掛け論になり、争点にはなり得ない。恐らくは 「選手を戻してくださいよ、森さん。試合になんないじゃないですか。」「あんな審判じゃ始めっから試合になんてなんないよ!やってられるか!」 のようなやり取りだったんじゃないだろうか。

昔 プロ野球の審判が6人制だったのを現行の4人制に変えたのは 人件費の節減の為だったかと記憶している。しかし 誤審、それも試合を左右するような事例は今までにも毎年いくつかはあった。その都度審判員の技量を向上させるよう努力を続ける、といったような声明が出されて事態を終結させてきたが それが果たしてベストな解決策だったとはもうこれ以上言えないだろう。審判の目を向上させるにも限度がある。何年間かやってきて結果やはり6人制が優っていると判断してもいいではないか。興行として野球を成り立たせるには 観客が納得出来る試合運営が必須のはずである。もし それがかなわないのなら 4人制存続は本末転倒と言わざるを得ない。

それでも入場者分で十分な収入が得られず 審判を増やせないのならば誰もが納得できる判定方法を導入すべきだ。その場で合議制になどせず、ヴィデオ判定などを取り入れることを 真剣に検討して欲しい。最も近いところにいる審判以外が集まってする合議制で覆る審判ならば、ヴィデオによる判定の方が よほど説得力があるではないか。

でも 絶対に肉眼 (TV画面であるが) で見ても あれはショートバウンドのグラブの出し方だった。と いうことは判定を下した審判は球筋を追う為の正しい位置どりが出来ていなかったと言える。今日、この審判員は10日間の休養を命じられ が、同時に森監督に対しては 審判に従わず試合続行を妨げたとして厳重注意が出された。面子を保つ為の無意味な措置と言って良い。退場そのものが現役時代を通じても初めてだったという監督、さぞかしお怒りであろうと お察しする次第。当の審判氏 これから横浜戦で仕事できるんだろうか?

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18 AUG 2001 SAT FIS SG 第四戦
 (スキージャンプ)
☆ お天気
シュタムスは昨日と打って変わって晴れ

スキージャンプ サマーグランプリ・ヨーロッパラウンドの最終戦の地 Stams (シュタムス)。ここは オーストリアの国技と言えるスキーの選手養成学校、全寮制のスキーギムナジウムの在る場所として知られている。伝統のある学校かと思いきや、実は大昔から存在していたのではない。1966年のアルペン世界選手権の惨敗を受けて 翌1967年に創設されたという。20人でキャンピングカーに寝泊りしながらの草創期から 今はアルペン・ノルディック・スノーボード合わせて170人の男女学生が寄宿舎生活を送っているという。国とチロル州、オーストリアスキー連盟そしてこの地にあるシュタムス修道院の全面的バックアップで運営されているが 外国籍の者にも門戸は閉ざしてはいない 。(月謝は高くなるが。国民の子女は総学費の四分の一を自己負担する。) 今 活躍するオーストリアのジャンプ選手は わずかの例外を除いて このスキーギムナジウムの出身者で占められている。

前日 予選を中止させた雨は止み、午前中に予選、午後14時30分 (JST21時30分) から試合が行われた。予選ですでに葛西・安崎の姿が消え、一本目を終了した時点では原田・佐藤が消えてしまった。日本チーム最高位は7位につけた最年少渡瀬雄太。15位に船木、26位に吉岡と ここでもポイント圏内は3人に留まった。1位で折り返したのは 第一戦の予選でトップの成績を叩き出していたイタリアの大ヴェテラン、Roberto CECON (ロベルト・チェコン)、2位3位はともにスロヴェニアの Damjan FRAS (ダミアン・フラーシュ) と Peter ZONTA (ペーター・ジョンタ)。そしてここまでの三戦で総合一位のマリシュが17位、二位のシュミットは 74.5m で 50人中 48位で一本目で敗退という大波乱。前戦に続いて またもや風か? あぁ シュミットのふくれっつらが目に浮かぶようだ。

二本目はゲートを2段階上げた (−2 → 0) ために、一本目 50人中 7本しかなかった K点越え (K105) が 30人中 13本出た。チェコンおじさんが (お前に言われたくない!と言われそうだ・・・1971年生まれのまだ29歳。とてもそうは見えんぞ。) 二本目も 2位の得点を出して 合計一位、なんと1995年2月以来の優勝!(WC計6回の優勝経験あり) そして 渡瀬雄太は初入賞の6位!(今までの最高位は8位だったか?) この夏、国内戦では飛距離が伸びず終いで ヨーロッパ遠征に不安もあっただろうが ここで入賞に至ったのは立派。よく知られたジャンプ一家の長男坊の彼は この春から名門雪印の所属である。高校生時代とは全く違った競技環境・生活環境にあって 本人の自覚が最も求められる社会人一年目だが、素直に順応していっているのだろう。SLCを狙うのはもちろんだが 2006年のトリノ、更にその後と主力になっていくべき選手である。 船木は11位でSG総合13位をキープ、吉岡は順位を落として28位であった。
SGシリーズで好調なスロヴェニア勢は 人が入れ替わってしまったが3位・4位を獲得 (MEDVED と FRAS)、ついにこの日の国別獲得ポイント数ではトップを獲った。(16位までに 4人入った) また お人形さんのように可愛かった Simon AMMANN (シモン・アマン) がしばらく見ないうちにすっかり大きくなって 初めての5位入賞。とにかく今日の試合は 常連とがらっと違う上位 30位決勝メンバーで、とても今の状況では冬シーズン ひいてはオリンピックの予想を立てることなど無意味に等しいが この中から昨季のマリシュのような存在が出てきたら 俄然試合が面白くなるのは間違いない。 このあと2週間強のブレイクを挟んで アジアシリーズ3戦が札幌・白馬で開催される。
(9月5日 札幌・大倉山 9月8・9日 白馬)

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19 AUG 2001 SUN ターニングポイント (高校野球)
☆ お天気
神宮は1日晴れ

甲子園準々決勝。前回の登板で大会最速投球をマークした日南学院の寺原が敗れた。試合開始当初から調子が悪そうだった。逆に相手の横浜のエース痩身の畠山は落ち着き払った素晴らしい投球で猛打の日南をわずか2点に止めた。 それまでのインタビューなどの印象から 図太いように見られていた寺原は終了のサイレンと共に泣き出した。意外だった。目を潤ませる、というよりも滂沱の涙、に近い。隠しようもなく泣く、「豪腕」 と呼ばれた高校生野球選手に これは未来に通じる敗戦だったと 後で思える日がくるよ と言ってやりたい気持ちになった。挫折はした方がいい。その時はこの世の中が崩れてしまったような衝撃でも 乗り越えられた時には、あれこそが転機であった思えるはずだ。教えられたのではたどり着けない、自らの経験からしか自らを導くことは出来ない。いま一つの勝利よりも 彼自身にとっては重要な負けだったかもしれないのだから。 本来の投球が出来なかった悔しさや 自分の為に負けた、チームに迷惑を掛けたという自責の念が大きかっただろう。自分の力は確かに大きかったけれども 自分ひとりではここにまで来ることは出来なかった。

江川の 甲子園での最後の一球を思い出す。ツーアウトフルベース。マウンドに集まった内野陣が 最後は江川の投げたいように投げれば良い、と言ったという。怪物と呼ばれた江川ひとりのチームと言われ続け いつしか深い溝が出来てしまっていた。そんな状況で招いてしまった絶体絶命の局面に 初めて 「チーム」 の一体感が出来たような気がする、と各人が後述している。そして 江川が放った一球は大きく外れ、押し出しの四球で作新学院野球部は敗退した。

高校野球について回る過剰なストーリーは要らないけれど、時に 一球の背景にある物語が胸に迫るのも みんながそれぞれに高校生の時分を知らず知らずに懐かしんでいるからだ。まだ 何者にもなれる、と思えた頃の自分に重ね合わせているからだ。 地区大会で敗れ 部を引退し、二度と野球に関わらなくなるものもきっといるだろう。いままでに何十年もの間、何千何万という人が門をくぐることさえ出来ずに去っていった。甲子園はそういう者達の夢だったものが形になる場所であり、たったひとつの幸運なチームのほかには重い挫折を与える場所でもある。
荷物を背負いながらも ひとつづつ ちいさな石を積み上げて ひとは自分の力で大きくなっていく。
雪の上に初めての足あとをつけて行くように 進むべき道はまだまっさらだ。
いつか振り返った時に 真っ直ぐでない、その足跡を楽しもう。

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20 AUG 2001 MON Jより身近なエールディヴィジ?
 (サッカー)
☆ お天気
ロッテルダム…皆脱いでるが暑いかどうか

今日はこれで決まりしょう。おにぎり小野くん、オランダデビュー。後半のわずかに11分間であったが こちらが見たいと思っている小野を見せてくれたと思う。彼のプレースタイルの大きな特徴である 柔らかいボール出しが数回見られた。これから更にチーム内での信頼を得られたらもっとボールが集まり 見る楽しみが増えそうだ。(信頼は絶対に得られると確信している。)

それにしても 小野の姿をこれほど映像で見ることはこれまでなかった。日本にいる間には一部の有料TVでしか試合を見ることは出来ないし、ニュースにしても J リーグの結果は簡単に伝えられるか せいぜいゴールシーンくらいだ。海外に行った選手ばかりがクローズアップされる、試合のヴィデオも外国のクラブチームの方が多く流されるなんてのは おかしいんじゃないか。
土曜日の昼、くだらない再放送のバラエティなどやるのであれば J リーグの試合中継をやってくれよ!と毎週思うのだ。NHKだって スポーツニュースで toto の結果はどうして言わないのだ? これでは 来年ワールドカップが終わったらサッカーはただのブームだったということになり兼ねない。 もっと J からの働きかけが必要だろう。
さすがに毎試合通うわけにはいかないが、なんとか席を埋めることでサッカーの、スポーツの振興に役立てば との思いで 第2ステージもせっせと東京スタジアムの自由席に行くつもりだ。(ジャンプ観戦とまったく同じ論理)
こんな風に思うファンもいるって 解ってくれるのかなぁ、J。 (SAJも!)

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21 AUG 2001 TUE HAKUBA カップ 中止正式発表
 (スキージャンプ)
☆ お天気
長野は雨模様(涙雨)

10月21日(日)に予定されていたスキージャンプの国内大会、HAKUBA カップ の開催中止が正式にSAJ (日本スキー連盟) から発表された。同じく 9月に予定されていたノルディック複合の大会も中止。 すでに各方面からの情報で ジャンプファンには既定の事実ではあったけれども 理由は財政難である。大会を開催するに足る 十分な資金を集められなかったということだ。昨年までは この大会がサマー台での最後の試合であり、1ヶ月後に開幕するワールドカップへの派遣選手を選考する意味合いもあった。夏トレーニングの最後の仕上げとも言うべき大会の中止は残念だ。不況で企業が一斉に手を引いたか、と思い 昨年の大会概要が書いてあるチラシを改めて見る。が、わずかに主催者として 「信濃毎日新聞」 があるだけで 主催・協賛・後援の中に企業の名はなく、あとはすべて スキー連盟関係と県・市・教育委員会などであった。スポンサー企業はなかったのか。それとも 協賛を得ようとはしていてもつかなかった、昨年まではなんとか開催できたが今年は財政的に無理だ、ということなんだろうか。

宮崎県では9月の世界プロサーフィン選手権大会が資金難で中止となった。今まで 足りない運営資金はスタッフをボランティアとし、人件費を削るなどしてなんとか遣り繰りしてきたのだが もうどうにも立ち行かなくなってしまったという。自治体にスポーツの大会を独自で運営する体力 (財力) を期待するのは気の毒というものだ。しかし 今企業にも余力はなく、来年のサッカーWCが終わった後のことを考えると この国のスポーツは文化になる前に死んでしまうのではないかと危惧している。

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22 AUG 2001 WED 北京ユニバーシアード開幕
☆ お天気
台風11号はさほどでもなく

2年に一度開催の学生のための大会、ユニバーシアードが北京で開幕した。丁度 2008年の夏季オリンピック開催が決定したばかりだから、運営当局の力の入れようは すごいらしい。(もともとは オリンピック開催決定投票が この大会の後に行われる予定だったらしく、委員に北京への投票を促すべく 最後のスーパーアピールをしようとしていたという話も伝わっている。) 日本開催は1985年の神戸と1995年の福岡。ただ、どうしてもユニバは 出場選手そのものの知名度や競技の世界での実力の程度から オリンピックへの関心度からは程遠く、メディアの報道もほとんどないのが現状だ。 多くの競技でプロが存在し、大学に進むよりもプロとして活躍する道を選ぶのは選手としては当然のことで、従って競技自体のレベルが プロ・セミプロ選手の出場する大会よりも低くなり、報道する価値が半減するという訳だろう。 実際、サッカーなどでは 純粋に学生だけでチーム編成しているのは 日本くらいしかないという。(在学中でなくとも 卒業後1年間は出場資格がある。) スポーツにおいて 経済効果が占める比重がどんどん大きくされている昨今では ユニバの出場資格が年齢だけになる日も来るのかもしれないな、と思う。

ナンバー誌のコラムで 1990年に開催された北京アジア大会の運営のまずさに触れているものがあった。先の 世界陸上の運営のスムースさとの比較であった。北京では試合終了が延びてしまった時、取材者の本拠地であるプレスセンターへのシャトルバスの運行はすでに予定時間通りで終了してしまい 会場係員に掛け合っても 「それは私の知るところではない」 といったような対応でしかなかった、という。この時から11年たっており、今もそうだと言うわけではない。が あり得る話だと思う。中国だから、というのでもなく 海外で仕事上の相手や役所などでよく言われるフレーズなのだ。「それは私の仕事ではない」「その時 OK を出したのは私ではない」 彼らの対応は責任を負いかぶされないようにするための保身なのだが、日本で普通の感覚では 同僚がなにか間違えてしまったとしても 電話口で私のせいじゃない、とは言わないし さぁ知りません、で終わらせることもないので 初めはかなりアタマに来る。責任者を出せ、と言うと大抵は今いない、と答え では今日電話をしたことを事実として残すために責任者とアナタの名前を教えて欲しい、と言うといきなり切られたり 誰かに替わったりすることも多々ある。

フランスという国もこの例に漏れない。しかし、1992年のアルベールヴィル冬季オリンピックの時は そういうトラブルはなかった。「フランス、やれば出来るんじゃん」 と思ったものだ。2008年、北京も是非そうであって欲しい。ユニバーシアードでのこれから出てくるであろう評判をウォッチしようと思っている。

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23 AUG 2001 THU 雪印アイスホッケー
☆ お天気
東京は30℃超 札幌は23℃

 

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24 AUG 2001 FRI イチロー首位打者復帰
☆ お天気
ちょい暑東京

 

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25 AUG 2001 SAT NC&女子ジャンプ 夏のウィンタースポーツ
☆ お天気
冷夏だったり酷暑だったりヨーロッパ

 

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26 AUG 2001 SUN WG閉幕 国旗・国歌
☆ お天気
雨の秋田は寒いだろう

 

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27 AUG 2001 MON Herminator (Ski Alpen)
☆ お天気
オーストリアは最近連日暑いらしい

 

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28 AUG 2001 TUE ナショナルパスタイム (リトルリーグ)
☆ お天気
ニューヨーク…

 

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29 AUG 2001 WED 見る権利 (WCサッカー)
☆ お天気
九州は変わらず夏日、韓国は?

韓国の放送局KBS、MBC、SBSの3社で構成する「コリア・プール」と、国際サッカー連盟(FIFA)の放送権販売を代行するキルヒ・グループ(ドイツ)との間で合意に達していたサッカー2002年ワールドカップ(W杯)の韓国国内放送権の正式契約が29日、延期された。    同プール側によると、契約の細部で問題が生じ、この日午前に予定していた調印式を中止した。基本契約自体に影響はないという。  韓国内放送権は02、06年大会を合わせて、約5500万ドル(約66億円)で合意したされる。(ソウル共同)    (了) [共同通信社 2001年8月29日 15:31 ] 同ジャンルの前の記事:[韓国放送権の調印を延期 細部の問題で]

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30 AUG 2001 THU ドーピング検査の信頼性と根拠 (サッカー)
☆ お天気
曇ってばかりの東京

 

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31 AUG 2001 FRI ターニングポイント (高校野球)
☆ お天気

 

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掲載日  01〜31 AUG.2001

 

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スキージャンプ・現場主義
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