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□ 25 FEB 2001 <Sun> □ □ 00-01 観戦の記録一覧へ □ |
Lahti / Finland ノルディックスキー世界選手権 大会第11日目 |
いよいよ11日間の世界選手権最終日。朝TVをつけても女子30kmをやっていない。??? 距離競技はあまり天候による延期・中止はないし 何より今日は最終日にふさわしい快晴、気温もぐんぐん上がって 12時にはマイナス8度にまで上がっていた程なのでなぜ試合をしていないのか全く判らず。12時開始予定の男子50kmも13時に変更??? ますます判らない、が ジャンプについては何も言っていないようなので予定通りに行われるのだろう。(注; 後日 開始時点での気温が低すぎる為の中止・延期と判明。マイナス20度までがリミットらしい。) 15時トライアル開始時点でまだ50kmは終わっていない。観客もスタジアムや山間コースへ行っていて集まりは かなり悪し。ニッポンは4人とも割と良い感じ。本番がこのままなら十分絡んでいける、と期待が高まる。(うれしい) 16時 テストジャンパー3人が飛んだ後、何のアナウンスもないままに試合が始まった。 おーい 最終日の最終種目だよ? どうしちゃったんだ? 昨日まではテストジャンパーもちゃんと紹介してたのに。 (アホネンの弟パシくんやトニ・二エミネン、タミ・キウルなんかが飛んでた) 気温が午前中とは正反対にぐんぐん下がっていく。顔も指先も痛い。岡部くん、ひさびさの団体メンバー入り。力を出せるように!
1本目 1GRP 1.FIN 2.AUT 3.JPN 4.CZE 5.GER (みやじくん) 2GRP 1.FIN 2.AUT 3.GER 4.CZE 5.JPN (岡部くん) 3GRP 1.FIN 2.AUT 3.GER 4.JPN 5.CZE (葛西くん) 4GRP 1.FIN 2.AUT 3.GER 4.JPN 5.POL (原田さん)1位フィンランドと2位オーストリアの差はわずかに5.5点 (2.75m)、優勝争いは完全にこの2チームに絞られた。点差ひらいて3位ドイツ・4位ニッポンは8.5点差 (4.25m)、一人1.5m多く飛べば! 2本目 寒さは一層厳しくなってきた。昼間暖かかった分、きつい。 1GRP 1.AUT 2.FIN(1位との差-6.5) 3.GER 4.JPN(3位との差-13.5) 5.POL 2GRP 1.FIN 2.AUT( -2.0) 3.GER 4.JPN( -19.5) 5.POL 3GRP 1.FIN 2.AUT( -1.0) 3.GER 4.JPN( -17.0) 5.POL 最終組を残した時点で1位と2位が1点差 (50cm!)の、最近の団体戦では一番の接戦。フィンランドは自国開催大会でひとつは金が欲しいし、オーストリアはあの事故から立ち直る第1歩としても 故人に捧げる意味でも金を取りたい。オーストリアのアンカーは 奇しくも事故の当事者ヘルヴァルト 95mで今大会全種目の最終競技者 アホネンに強烈なプレッシャーをかける。観客の熱狂の中 アホネンが飛ぶ。足りない!と声が出てしまった。93m。飛型で1点ヘルヴァルトを上回ったものの 飛距離でつけられた2m=4点の差は埋められず、オーストリアが2点差で劇的な優勝、ノーマル団体戦の初代ゴールドメダリストとなった。一瞬声も無く静まり返る会場。ジャパンは3位ドイツとの差25点でラージと同じく4位。日本の新聞の見出しが容易に想像できる。「日本、x 年振りメダルなしに終わる」、か。 オーストリア暫定監督のトニ・インナウアーコーチが遅れて降りてきた。いつも真面目そうで (「クソ」が付くほど) 表情からは感情の波を窺がわせない彼も 他のコーチ・選手達と誰かれなく抱き合って喜んでいるのが見える。リップブルガー氏と長い間の友人であり 事故直後には何もする気になれないと語っていたインナウアー、どんなに喜んでいることだろうか、同時にこの団体金メダル(オーストリアにとって個人・団体あわせて10年振り)を当面の目標としていたリップブルガー氏その人に取らせてあげたかったと考えているのだろうかと 思いめぐらす。 帰宅してTVのニュースなどから またもフィンランド距離陣からドーピング検査にかかった選手がいたらしい事が判った。(しつこいようですがフィン語ニュースですから あくまで想像です。) これが今日の混乱の一端か? ともあれ2年に一度の世界選手権はこれで終わり。 また 明日から別の戦いが始まる選手達、静寂が戻る小都市ラハティ。 さあ 今週末はもう オーベルストドルフでフライング! Tomorrow is another day ! (2001年2月25日 Lahti この項 了) |
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初稿 <Funakist' Fan Voice> 25.FEB.2001 |
改稿 17.JUL.2001 |
スキージャンプ・現場主義